豊浦町と豊北町を跨ぐ馬路垰再挑戦である。廃道になって久しいはずだが人が通れるよう維持がされている。ただし中ほどの地点に数十メートルほど難儀をして通行しなければならない箇所があるため注意が必要だ(子供は無理)。終盤、街道は海沿いの集落を経由する阿川ルートと直接粟野を目指す滝部ルートに分かれる。この日は阿川ルートから二見へ出た。ときわ屋のどら焼き(定番は二見饅頭)の食感が前回と違ったのだが機会があれば種類などを確認してみたい。
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13:21 これも電柱
13:25 後半の道は前半に比べコンディションが良い。
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13:29 「初春の 馬路垰から 水平線」と放歌するは同行の父。好調である。馬路垰は「うまじたお」と読む。
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13:30 右手に石像がある。かつてこの場所に駕籠建場と茶屋があったという。
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13:34 赤い道標のとおりに行く。
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13:42 左は住居跡のような広場になっている。
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13:46 涸れ沢を渡る。
13:47 幾重にも石積みが残る。
13:48 谷を回り込む。
13:50 下りたところが北浦街道阿川ルート、滝部ルートの分岐点となる。下関方面から北上する場合、響灘沿いを辿る阿川ルートは矢玉ルートとでも呼んだ方がわかりやすいかもしれないが、当サイトでは通称の阿川ルートで記載している。
13:51 「赤間関街道 左二見浦 右滝部」。阿川ルートと滝部ルートの分岐点に到着。右-滝部ルートはすぐわかるが、左-阿川ルートは結果的にここを直進するイメージに近いため迷いやすい。前方には構造物があり直進できないので一旦左に行き、構造物のないところから涸れ沢へ降り、ロープを伝って反対側へ登る流れとなる。やや体力を要するため右の草むら側から合流する選択肢もあり。
13:52 三回萬霊塔。「右は起゛(ぎ)ミち 左ふたみ浦?」首は落ちている。長州騎兵隊の戦士が景気付けに切り落としたという伝えがあるそうだ。向かって左に右への案内が刻字されるが、この場合、標を背にして解釈し、そうでない場合は素直に受け止めるといった機転が必要か。
13:54 案内板から右側-滝部ルートを向いたところ。
13:55 案内板から左側-阿川ルートへ20メートルくらい進むと矢印がある。ちなみに矢印は落下し枯葉に埋もれていた。
13:55 矢印から涸れ沢へ降りる。
13:56 ロープが下がっているので登って涸れ沢を渡る。自然の階段があるので見た目より容易に登れる。
14:05 木の橋を渡る。右へ行けば滝部ルート。阿川ルートへは橋を渡ったところを少し左に進み草むらから合流することも可能。
14:07 「野を駆ける 人は移りて 茅茂る」by 筆者。草むらはこのような感じ。
14:16 阿川ルート南方向を振り返る。
14:16 よい道がある。左の山は萩原山という低山。
14:17 右手に池が見えてくる。
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14:18 空色を映して神秘的である。
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14:20 池へ降りることができる。
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14:27 草が増えてきた。
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14:28 地雷のようなものが転がっている。あとで警察に届ける予定だったが忘れていた。
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